吉祥寺KYO-ZON を手放すと決めたこと

2019年夏至を過ぎてすぐの7月3日新月の日(←偶然)、
「この場所を手放そう。実家に行こう」と決めました。

 

「お客様もいるし、うまく行っているのになんで?」

もれなくそう言われましたが、
運営上のバランスやマンションの問題、
さらに音叉をはじめてから「音・周波数・エネルギー」にますます敏感になったということ、その他諸々の理由からで、

ひとことでまとめたら、

「私の波動とこの場所の波動にズレが出てきた」

ということかなと、後々思いました。

まあ、「実家に行く」といっても、実家は実家で色々な問題があり。
家族問題はどなたにも多かれ少なかれあると思いますが、
常にそれが重い塊として私の中に存在していて、
いつかは向き合うこと、それが今かなと。

 

そしてこの日ふと手放すことを決め、
その瞬間に肩がスーッと軽くなったのを鮮明に憶えています。

 

とはいえ、私の分身であるKYO-ZON。
日常に戻るとやはり手放したくないし、

東京にいたいという思いが表面化し、葛藤の日々。
そのためみなさまにお伝えしたのは
季節も変わる9月初めになっていました。

 

その後は物件を探してみたり、いや実家に戻るし、、と軸がフラフラし、
プライベートでは援助の話があったり、
身を切られるような告白をされたり、他にもあれこれ。

 

「もう本書けるんじゃね?」くらいに
ものすごいスピートで色んな事が起こり、変化する毎日でした。

 

それでも、みなさまとのやりとりやセッションがあったおかげで
自分軸を取り戻せていたなと感じます。

 

そして今回の一連のことでたくさん気付いてしまいました。

 

中でも大きかったのが、
「全てにおいて執着とジャッジまみれであった」
ということ。

 

どんなことでもそうですが、思いが強い程執着にもなります。
例え好きなことであっても。

 

私もそうでした。
顕在意識では純粋にセラピストとしていたいと思っていたつもりでしたが、
その実深いところでは、セラピストという肩書きや東京で、という、
どうでもいい見栄や執着、ジャッジが入っていたのでした。

 

セラピストでいなければ。
サロンを主宰してセラピストとして存在している私。
それも東京で。トウキョウで。

 

だからその分離意識を外しました。

 

「セラピストでいたいけどいなくてもいい」
「東京は大好きだけど、東京でなくてもいい」

 

そうしたら、ここを手放すと決めた時と同様に肩が軽くなったのでした。
セラピストが負担だとか辞めたい訳ではなく、
執着とジャッジのエネルギーが重かったのです。

 

プライベートでも
「ここまでくるともうカルマですよね」
・・くらいの関係性を手放しました。
ぎゅっと握っていた両手を開いて下に落としたら、とてもとても軽ーーーくなりました。

 

きっとこれまで輪廻の中で何度も繋がり続けて手放せなかった関係。
今世で最後、課題をやっとクリアしたんだと思います。
長かった・・・

 

それに、やはり本筋と違う道を進もうとしている場合は、物事がうまく進みませんね。
物件を探しているときに実感しました。

 

そして、
「手放すと入ってくる」
というのは本当で、色々を解放して軽くなり、
あれこれを力づくでどうにかしようとするのをやめたら、

 

私から働きかけることなく、自然と向こうからミラクルが次々やってきたのです!
私が何かしたとすれば、考えるのも億劫になったので、感じるままに行動していただけ。

 

軽くなることがこんなに気持ちの良いことなんだって知ってしまったら、
重い波動領域にはもう戻れません。
これからもひたすら自分に意識を向けて、手放し、統合し続けます。

 

KYO-ZON 第2章にむけて。

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